こんにちは。
今日は、ケアマネの仕事をしていて最近立て続けに経験したことについて書きたいと思います。
いくら周りから専門職の視点で「こうした方がいいですよ。」とアドバイスしたことや練習してきたことが、最終的には本人の意思でくつがえることがあります。
本人が本心で納得していないことは、やはり専門職がいくら「専門職として正しい」ことを言っても、実現できないんです。
それは逆をいえば、本人が本心から納得できることができていなかった、ともいえるでしょう。
利用者様の意思によりくつがえった事例
私が経験した事例はこうです。
神経難病で施設入所されている利用者様が、施設入所中から自宅復帰を目指してポータブルトイレを一人でするためのリハビリの練習を繰り返していました。
作業療法士さんがベッドから起き上がる向き、起き上がる方法、ポータブルトイレを設置する位置、ポータブルトイレに乗り移る方法、目印としてテープを貼る位置など、その利用者様にとってベストと考えられる方法を綿密に決め、繰り返し繰り返し練習していました。
担当者会議でも、その方法を会議参加者全員で共有して、今後のケアの統一化を図りました。
ところが、サービスが開始された後、利用者様の「ポータブルトイレは使いたくない」という意思によって、それまでの方向性が一気にくつがえってしまいました。
その後、「自宅のトイレを使いたい」という意思により、ご家族が介助しつつ自宅トイレを使うことになりました。
もう一つの事例はこうです。
骨折により入院中の利用者様が病院から退院することになり、まだ骨折が完全に治癒するまではデイサービスに通った方が良いのではないか?ということで、病院側からは主治医も含めてデイサービスの利用をすすめられ、担当者会議でもデイサービスの担当者も含めて話し合いを行いました。
デイサービスの契約も終わり、デイサービスご利用開始となりました。
ところが、デイサービス初日、ご本人の「こんな場所には初めから行きたくなかった」という意思によりデイサービスの途中で帰ることになり、その後、利用終了となりました。
退院前には病院の理学療法士・作業療法士が家屋調査で手すりや段差解消が必要な場所などを検討し、そのように環境整備も済んでいたのですが、それもご本人の「こんな所に手すりはいらない」の一言でなくなってしまいました。
「専門職からみて正しい」ことの押しつけになっていないか?
今回の2つの事例ともに、ご本人の意思がなく、周りの「専門職からみて正しい」ことで物事を進めてきてしまったことが原因であると思います。
「専門職からみて正しい」ことが全ての利用者様に当てはまるわけではないし、それは「利用者ご本人からみて正しい」わけではないのです。
専門職は、確かにその分野でのエキスパートでもあるし、経験もあります。
「こうしたらよくなる」という経験値もたくさんあります。
ただ、利用者様は人間です。それぞれの生き方、価値観があります。
そういった利用者様ご本人の「どう生きたいか」をベースとして考えないと、ただの押しつけになってしまうのではないかと思いました。
機械的に全ての利用者様に正しいことを適用できるわけではありません。
まずは、利用者様ご本人の「どう生きたいか」がベースにあって、その上に「専門職からみて正しいこと」をプラスしていく必要があるのだと思います。
地域包括ケアシステムの植木鉢に気付かされる
こんな風に考えていて、ハッと気付かされたのが、地域包括ケアシステムの説明に使われる植木鉢の図です。
これをみて下さい。
出典:
三菱UFJリサーチ&コンサルティング「<地域包括ケア研究会>地域包括ケアシステムと地域マネジメント」(地域包括ケアシステム構築に向けた制度及びサービスのあり方に関する研究事業)、平成27年度厚生労働省老人保健健康増進等事業、2016年
この植木鉢をみると、鉢の下のお皿にはしっかりと「本人の選択と本人・家族の心構え」と書いてあるし、鉢には「すまいとすまい方」と書いているではありませんか!
あくまでベースはここなのです。
お皿や鉢が小さくて、上の葉っぱだけが大きくても、バランスよく植物が育ちません。
この地域包括ケアシステムの植木鉢のバランスを考えながら、地域包括ケアシステムの一員として動くことが大切ですね。
自分の病院勤務時代を振り返った時、患者様の家屋調査に行ったときなど、「専門職からみて正しい」ことだけを押しつけていなかったか?患者様の「どう生きたいか」をしっかりと考えられていたか?と考えを巡らせています。
今回の2つの事例を通して、地域包括ケアシステムの根本的なことについて痛感させられました。
よければツイッター(@matworks)フォローもお願いします!